元交通警察官のひとりごと

元交通警察官の視点から、安全運転、交通違反事故、交通問題等について、思いつくまま綴ります。

事故のご遺体と過ごした霊安室の一夜

これは私が新任警察官当時に経験した出来事です。

今回、ご紹介する事故は、一般貨物自動車運送業の運転手さんが業務中に事故でお亡くなりになり、霊安室でご遺体の番を一晩した経験です。

ドライバー、特に職業ドライバーの方々は、運転中は常に危険と背中合わせだと思います。

当時の私は、ご紹介する交通事故のご遺体を通じて、交通事故というものの危険性、残酷さを、初めて深く認識させられました。

 

(この記事の話は、私が警察官を退職してから、書き溜めた文集の一文です。当初の文集の文体である「である調」でそのまま掲載することをご容赦ください。)

 

◎事故死者との一夜

これは、昭和51年の冬、私がまだ19歳の新任警察官で派出所(今は「交番」というが、当時は「派出所」と言っていた。)勤務の頃の話である。当時、警察学校を卒業して間もない私は、ある警察署のある派出所へ配置された。

 今思えば、一人前に制服を着て腰に拳銃を吊ってはいるが、幼さの残る、世間知らずの未熟な青年警察官であった。

 ある夜の、単独での派出所勤務の時であった。午後10時頃、警察署の当直責任者から一本の電話が入った。

 「管内のK町で大型トラックが単独事故を起こし、運転手が死亡した。遺体は県病院の霊安室に運ばれている。県外の家族が引き取りに来るまで、一晩一緒にいてくれ。」

 私は即座に、「私一人では、一緒にいることはできません。」と返答していた。情けない話ではある。しかし、恥ずかしながらその時の私は「霊安室に死体と一緒いるのが怖かった」のである。

 こんな私を当直責任者は、「お前、それでも警察官か!」と怒鳴りつけたのであった。しかし、鬼の当直責任者よりも死体の方が、よほど怖かった私は、頑として譲らなかった。

 当直責任者は、渋々、私の他にもう一名警察官を県病院の霊安室へ向かわせることにしたのであった。

 その後、私はバイクに乗ると県病院の霊安室へ向かった。初めて見る霊安室は、薄暗くて古ぼけた、広さが8畳ほどの和室であった。

 真ん中に布団が敷かれていた。そして、その中にトラック運転手の遺体が寝かせられていた。顔には全体に白い布が掛けられている。

 遺体の枕もとには、ロウソクが灯され、線香が焚かれていた。線香の臭いが私の鼻をつく。

 私と交代して帰署する鑑識係の巡査部長が、「ロウソクの火と線香の火を絶やさないように」と私に言った。

 緊張した表情の私は頷いた。鑑識係は霊安室を出て行った。残されたのは、私と遺体だけとなった。

 ヘルメットを被ったままの私は遺体の横で正座した。そして思った。一緒に遺体の番をしてくれるP巡査はまだかとー。

 彼はなかなか来なかったー。
 私はご遺体をなるべく見ないようにした。本当に怖かったのである。恐ろしかったのであるー。

 亡くなった人は40歳ほどの県外の男性ということであった。奥さんと子供がいるとのことであった。大型トラックで荷物を運んでいる途中、路外の深い窪みへ転落、亡くなったというー。

 薄暗い霊安室で私は色々な怖い想像をした。「遺体が突然起きあがったらどうしょう」「白い布で顔は見えないが、どんな表情をしているのだろうか。怖い顔かもしれないー。」

 「この霊安室に安置された遺体は、今まで何人位いたのだろう。」「そんな人達は、どんな亡くなり方だったのだろう。」「そんな人達の霊魂は、ここに残っていないのだろうかー。」 

 19歳の私は、情けない位、本当に怖かったのだー。ロウソクを灯して線香を焚く際も遺体から目をそらした。見ないようにした。心臓はドキドキしていた。

 やがてP巡査がやってきた。彼は私の同期生であり、同じ新人巡査であった。彼もやはり、私と同じで遺体が怖いのであった。

 そして、二人でまんじりともせず、ロウソクを灯し、線香を焚き続けた。
 私達は、その夜、一晩中、遺体の番を命ぜられたお互いの不運を嘆いたのであったー。

 やがて、待ち望んだ朝が来た。「やっと怖い任務が終わる。良かった。」私がそう思った、その時であった。

 突然、霊安室の戸が開いた。見ると、看護婦さんに案内されて、顔のこわばった40歳ほどの女性が入ってきた。死亡した男性の奥さんであった。

 奥さんは、変わり果てた夫に駆け寄ると、抱きすがった。そして、肩を震わせ、「お父さんー、何で死んだのー」と肩を震わせ、長い間、号泣したのであった。

 奥さんが泣きながら、夫の顔に掛けられていた白い布をとった。現れたのは「目をつむり優しそうな表情」をした男性の顔であった。

 奥さんは私達の方を振り向くと、こう言った。
「おまわりさん、夫と一緒に一晩いてくれて、本当にありがとうございました。」

「見知らぬ土地で事故のために亡くなり、ここに一人運ばれた夫は、どんなに心細かったことでしょう。」

 「けれども、私が来るまでの長い間、仕事とはいえ、一緒にいてくれたおまわりさん達に、夫は心から感謝していると思います」

 私は奥さんのその言葉を聞いて、不覚にも涙が溢れた。そして、強い自責の念にかられた。
 
 それは、私がつい先ほどまで、この人の大切なご主人のご遺体を、「怖い」とか「気味が悪い」とか、「化けて出ないか」等と思っていたからである。遺体の番を「怖くて嫌な仕事」だと思っていたからである。

 私は、その日から、長く自責の念にかられたのであったー。

 しかし、この出来事は、私の「ご遺体」に対する思いを決定的に変えさせるものであった。

 以後私は、どんなご遺体に接しても「怖い」という感情は湧かなかったー。
 むしろ、憐憫の情をもって、ご遺体に接するようになったのであった。